私の死の定義
私の死の定義
腸機能停止で人は死
逆に腸が活動しいる限り、人は死なない
腸機能とは3点
腸から出し➡腸に入れ➡動く
①腸から出して(尿・便・汗)
②腸に入れて(腸内細菌の喜ぶもの)
③動く(歩く)
貴方の幸せは腸しだい。
私は死ぬまで腸の実践。
今日は平成最後の日
今日は平成最後の日
同時に昭和最後の日も思い出す
昭和最後は免許書き換え
平成最後リハリビ麻痺
好転の日になった。
陛下の災害地慰問のお姿は心が伝わる、
形だけない、
85歳のお体、ごゆっくりされてください、
感謝です。
『まさか』はゼロに
19,4,28
ああ、ヒタヒタ無理なく疲れず、
軽く歩ける築地往復
不思議な感じ、
そこで杖とキャリバック左右替え
自宅て前の斜め傾斜の
横断歩道でキャリバックが滑り
転ぶ、青年2名が駆けつけに応援、
ありがとうと言う
この傾斜で以前も同じ場で転んだ
注意と対応:
①やはり帰路は疲れ、
②傾斜の横断歩道はバランス崩す
③掴まらないで自力歩行
~転びは上さんには言わない
出張ナース報告も➡整形受診も無し
ケガは無し、まずは無事で良かった。
『まさか』はゼロにする。
いくつまで生きたいのですか?
鉄さんへ、友人Oより
鉄さんは
いくつまで生きたいのですか?
何をしたいのですか?
私の返事
冗談でない、この命は何時まで何て判らない
そもそも天地創造主が
この肉体を私にレンタル
無料で80年以上も貸してくれる。
レンタルだからいずれお返し
=それが『死』だ
その時期は貸主が決める、私ではない
私は現在、74歳、下半身麻痺でリハビリ中
それにしても自然界の生き物の晩年は残酷、
野生動物は体力低下で敵に喰われる
それが嫌なら自ら姥捨て場所に行く
さあ、人間はどうだ、動物より更に残酷
ボケだ、老々介護だ、チューブ植物人間だ
人格尊厳で、晩年は幕を降ろしたい。